スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

最終回/昭和16年海軍インタビュー

==週刊朝日(昭和16年12月28日号)から==
【ハワイマレー沖両大海戦を讃ふ】(平出大佐に聴く)
週刊朝日巻頭記事
12月12日
海軍省にて

大本営海軍報道部
海軍大佐
平出英夫氏

本社出版局長
鈴木文四郎

===Part 9===
【鈴木】
マレー沖の海戦について、何かほかにお話はありませんか。
【平出】
なぜマレー沖の海戦という名前をつけたかということについて
申し上げましょう。
これは主として航空隊がやりました。
航空隊が雷撃をし爆撃をしている。
したがってマレー沖の空戦といってもいいかも知れません。
それをワザと海戦としたのは
「潜水艦がチャンと見張りをしていて」
あれがシンガポールから出発したのを発見して、
すぐ無線電信を働かして知らしたんです。
そこで日本の艦隊の主力はこれに対してどうするか、
飛行隊を放してやっつけようそういう決意を定めて、
艦隊長官の命令によって飛行隊が出たんです。
そのうしろには艦隊が控えております。
向うは逃げる、日本の艦隊来たる決戦せんといいながら逃げたんです。
それを追っかけるんですから、速力が五分五分だとすれば
艦隊じゃ追いつかない、飛行機ならば早いからというので
追っかけさせて、艦隊も急行したんです。
飛行隊の攻撃が功を奏さなかったとか、
もう少し時間がかかればそのうちに日本の艦隊が行くわけです。
随って、その作戦たるや、実現はしなかったけれども、
主力艦も巡洋艦も、潜水艦も掃海艇も、無線電信も飛行機も、
殆ど全部の機能が立体的に有機的に働いて行われたものなんです。
そこでマレー沖の海戦といえるわけです。
【鈴木】
なるほど、非常によく分かりました。
ーー最後の締めくくりに、アメリカが白旗を揚げるまでは
戦争は長期でやるという覚悟が必要と思いますから、
その意味で国民に対する注意のお言葉を伺いたいと思います。

「空襲とゲリラ戦」

【平出】
私はこの間の国民大会でも、長期になるということを申しましたが、
それは向うがゲリラ戦を始めることが必至だからです。
正々堂々の渡洋進攻をやってくることは到底できません。
それだけの力が向こうにはあるまいと思います。
そこで勢いゲリラ戦になります。
そのゲリラ戦たるや、そう一挙に片付きません。
水の中にある潜水艦を一つつぶしてゆくということが、
そう短日月にできるものじゃありません。
一つを沈めても次がやってくるということになれば、
どうしても長期戦になります。
そうして向うはそれをやりさえすれば日本がまいると思ってるんですから、
まずゲリラ戦で日本の経済を圧迫する。
その次は思想戦。
更に空襲をもって日本の国民を威嚇するといったような働きを
だんだんやってくると思います。
その空襲ということですが日本はそえをやらせないために、
緒戦において某ックの一番根本である積極防空をやったんです。
マニラにおいてイバにおいて、クラークフィールドにおいて、
グワムにおいて、徹底的に飛行場をやっております。
殊に日本にやって来そうな大型のやつは、殆どみんなやっつけております。
蜂が飛ぼうとする前に、まず蜂の巣を全部叩いたというわけですね。
【鈴木】
北の方から来ることはありませんか。
【平出】
ダッチハーバーからですね。
【鈴木】
あそこから日本に往復できますか。
【平出】
可能です。途中に島がありますからね。
だから、国民はどんなことがあっても驚かないという覚悟が大切です。
【鈴木】
アメリカとの長期戦ですね。
【平出】
そうです。
イギリスのほうが早く片付きましょう。
しかし今度は逆にこっちがインド洋の通商破壊戦をやりますからね。
ともかくも長期戦を覚悟しなければなりません。
【鈴木】
しかし最初にこれだけの猛撃を加えたということが、
どんなに国民の心を明るくし、、海軍に対する感謝を深めたか分かりませんナ。
至る処その話です。敵陣営に対する打撃は大きなものでしょうナ。
【平出】
甚大ですよ。
数がいえませんから甚大というんですがネ、
私は海軍ですから何でも数でいいます。
海軍から数を取ると非常にヘンなものになっちゃうんです。
数字を海軍は離れられないんです。
ですから、甚大なりとか、頗るとか、甚だとか絶対という言葉は、
なるべく使いたくないんです。
何を何隻、何時何分に...といわないと海軍らしくないんですが、
敵国に与えた影響なんていうのは、数ではいい現わせませんからね。
【鈴木】
マニラには相当の潜水艦がいたということですね。
【平出】
二十七、八隻、三十隻ぐらいいたでしょう。
それが今はどこかへ出ています。だから
「日本の近海へ来るかも知れません!」
油断はできませんよ。
【鈴木】
どんな大きさのですか。
【平出】
最新式のやつで大型です。
航続力の長いものでないと日本近海まで来られませんからね。
【鈴木】
アメリカが去年決定した建艦計画書は、いつ完成するのでしょう。
【平出】
彼らは四十四年(昭和十九年)といっておりますが無理ですね、
四十六年(昭和二十一年)です。
しかし永久に出来ないかも知れませんよ。
造る片っぱしから沈めちゃうんですからね。
沈められるために造るようなものです。
こちらは喜びますよ。
いい餌が出来るなんて、航空隊の連中なんか張り切っていますよ。
プリンス・オブ・ウェールズがシンガポールに来たのも、
どんなに航空隊を勇気づけたか分かりません。
【鈴木】
目標が出来たわけですからね。
【平出】
餌がないと張り合いがないんです。
【鈴木】
じゃ、どうも有難うございました。
お忙しいところを...。

=========
「数字を海軍は離れられない」
海軍の陸軍に対する優越感が感じられます。
私が子どもの頃、親が、親戚(海軍の将校)が、
「この戦争は負ける」と言っていたとの想い出を語っていましたが
陸軍だって、もちろん、数字も情報も把握していたでしょう。
(硫黄島指揮官であった栗原中将の書簡集などを読んでも明らかです。)

当時の日本の上層部と現代の日本の上層部と大差は無いはずだと私は思います。
経験によって、前世代よりも、より「情報通という意味で賢く」なっても
智慧、智能という意味での賢さは、世代によって、相違は無いはずです。
賢い人もいれば、賢くない人も、いる。
情報収集能力/情報処理能力に富んだ人もいれば苦手な人もいる。
情報を把握した人が、常に決断を下せる状況にあるとも限りません。
客観的な判断の上に、国民としての誇りが優先させる事もあるでしょう。

私が子どもの頃、よく
「日本が戦争に負けてよかった。勝っていたら悪い世の中になっていた。」
と、聞かされました。
しかし、今、この当時の海軍スポークスマンの見解を読み
その考えは、一種の「洗脳」だったとの思いを強めました。

「(正義の味方)アメリカが勝った」から「世の中は良くなった」んじゃない。
世の中というものは、「よっぽどマズい(^^;)人為的影響」を
与えなければ、紆余曲折はあるにしても、基本的に
「前世代よりも進歩した方向」へ進むものではないか。
そんな思いです。

もし、この戦争が、長期化せず、大佐の楽観的観測のように
講話が行われていたとしたら、世の中は、どうなっていたのか...

「たとえ日本が勝っていても」
世界中の植民地主義は続いていなかったはず。
第二次世界大戦後、植民地主義が衰えたのは
アメリカが勝ったからではなく、時代の趨向ではなかったでしょうか。
冷戦の終結のように。
そして、今も、世界中で、戦火が消える日は無いように。

現在の日本人は、戦争からは遠い所にいる、つまり、
対岸の火事の如くに、他国の戦争を眺めている様に感じるのですが
この週刊誌記事を読み
戦争は、現在の日本人にとっても、それほど遠い所にあるのではない、
また、戦争へとなだれこんでいった時代の日本人と
平和へ情熱をむける現在の日本人とは、そう変化していない、
つまり、将来が、どの方向に進むかは、全く予想がつかない
と、私は考えています。

古雑誌シリーズ、次回は、
同号に掲載されていた「婦人会」エッセイを載せようかと思います。
これも、時代感に溢れながらも、現代に通じるものを感じる記事です。
==
宜しければ、是非、励ましの一押し
お恵みください~っ!
携帯モバイルブログ
ブログランキンへ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
検索フォーム
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。