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自意識過剰と位置

ネットを始めて8年あまりになるが、この間、
ずっと気になっていたのが
「自意識過剰な人」を結構よく見かけることである。
====
何これ?とのお怒りは、どうかこちら
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=====

「自意識過剰な人」とは
不特定多数に向けられたメッセージ
特に批判を読んで
それを自分への批判と受け止めてしまう人の事だ。

他人のブログや意見が
自分の意見や理念と異なる場合
反応が大まかに三つに分かれるのではないだろうか。
「ふーんこういう考えもあるのか」傍観系
「どうして、こう考えるんだろう?」好奇心系
そして
自意識過剰系だ。

この自意識過剰系は、
自分と反する或は理解できないブログや意見を読むと
あたかも自分が批判されている様に感じてしまうらしい。

ブログにしても、掲示板にしても
意見は、あくまでも、
キャッチボールの様に、
書き手と読み手の間で
ボールがやり取りされているのではない。

むしろ、書き手と読み手は
同じ線上に立ち、書き手が投げるボールの
行き先を読み手は眺める、という
位置関係にあるのだ。

だが、自意識過剰な人は
そのボールが、自分に向かって
投げられていると勘違いしてしまう。

この自意識過剰さと
感受性の強さとは関係が無い。

感受性豊かな人の中には、
芸術作品や文学作品に触れ
絵画や音楽や書籍から投げられたボールを
ずっしり受け止めて共感/感動する人もいれば、
投げられたボールの行き先に
画家や音楽家や作家の創作/意図した世界を見て
それに共感/感動する人もいるのだ。

前者と後者では立ち位置も視野も全く異なる。

前者は自分自身は意識していないかもしれないが
世界の中心は自分だと思っているに実は等しい。
外野からのボールが全て自分に向かって
投げられているようなものなのだ。
これでは、生きているだけで「しんどい」だろう。

後者は、傍観者としての態度を取れる分、前者より
遥かに気楽に生きて行けるのではないだろうか?
もっとも、事柄によっては、後者でも
傍観者としての立ち位置を失う事もあるだろう。

何だか生きづらいなぁ、と感じる時は
周囲の環境だけでなく
自分の立ち位置に改めて注目してみると
良いかもしれない。



======
おぉっ、今日は短くまとまりましたっ
しかし、これだけ無理に短くすると
どうも概念的で見えにくくなってしまう様な...

単に理解りにくい文章なんだよ、とのお怒りは
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今、なんと30位代のしっぽに食いついてますっ!!
また、すぐ落ちちゃうかもぉぉ。
どうか、一押し、面倒くさがらずにお願いします。
きっと良い事、起きますよぉぉぉ☆

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テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

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うわああ~~

私はもろに自意識過剰系だぁ~~~。汗汗。
ま、でもそれを自覚してるので自分でかなりその反応をセーブできるようになりましたが。苦笑。
素の姿がそうであることは、他人には隠せても(隠せてないと思うけど。)自分には隠せませんね。

このポスト、私について、書いたでしょ!?怒。

なんちゃって。

でも、正直な所、私のミクシィ日記の電話の伝言を受け取ったときになんたらって話題を読んだときのマロさんの反応には関係してるかしらぁ~~とは思いました。そんな程度の関連性?

35位になってる~(^^)

このお話、前に掲示板が荒れる理由でも、書いてましたよね。

マロさんの、「ネット掲示板でのやり取りは、
1対1のボールのやり取りではなく、
大勢がボールを投げ込むようなイメージ(で捉えた方がいい)」、
(というようなことでしたよね。例によってうろ覚えですみません)

それからM姐さんが紹介してくださった、河合隼雄の『コンプレックス』。
何かを読んで感情が波立っても、
自分の中にあるものが反応しているだけなんだ、って、
(これもすごいまとめ方だわ)

今振り返ると、あの時のマロさんとM姐さんの言葉が、私の転機でした。

でも私の根本は自意識過剰なので(爆)、
「こういうことを書くと、お前は気にしろよっっ!と言われそう(涙)」
と思ったけど、書くのをやめた、
ということを書き添えてみたり~。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
(書いてるって!(x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ)

媒体にもよるかも?

う~ん、とても面白い考察だし、ある意味あたってるので参考になる。
でも、なんとなく「ブログ」とかネットという媒体の世界だからこそ
自意識過剰に受け止める人もいるんじゃないかな・・・。

書いてる方は、不特定多数にむかって自分の思うところを載せてるだけなんだけど、読んでる方は、だいたい1人で自分のケータイやパソコンでそれを読んでるうちに、どうも自分宛のメール読んでるみたいな気になっちゃうんじゃないかなー。

読んでから返信するまでの間が短いし、大勢が一斉に書き込むからすぐにどんどん話題が広がるし、どうも自分がその中で大役果たしてるみたいになっちゃう錯覚があるような(笑)

でもネットやブログのやりとりは、衆人環視の中で起きてることを忘れない方がいいよなあ。ネットに書くのって、雑誌に投稿するのとか新聞に投書するのとはスピードが違うんであっという間に「炎上」するし(笑)

でもさ、不特定多数向けブログって、読む方だけじゃなく書き手も多少自意識過剰でないとできない気がするんだ。。。少し前までシロウトが世界の不特定多数に向かって発表できる媒体って、なかったんだよね。新聞や雑誌に書くのはお金がかかるから、プロでなければ相手にしてもらえなかったり。

それが、今や誰でもタダで発表できるわけでしょう。ちょっとしたライターや小説家より上手な人な書き手だっていくらでもいる。でも、職業上のモノカキとの決定的な違いは、自分の書いたものをを読んだ人たちに対するフォローの仕方だよね。

職業媒体だと経営陣とか社会的責任とか倫理感とかスポンサーとかうるさく絡んでて、これを世に出したら後でどうなるか、とか、書いたものがマズくて責任取らされるとか仕組みが一応できてる。内容も何人もの手を経て世に出てるから、個人の意見の表明とは根本的に性質が違う。

プロのモノカキは、ある意味読み手が自意識過剰になってくれるのを狙ってるところもある。商売だから。そこが大きく違うのかなあって思ってしまいました。要するにネットの自由な世界って、イライラしながらもインタラクションがすぐにできる、新しいスタイルのコミュニケーションの世界なんだろうね。

かぐやちゃん

ははははは、自称自意識過剰系のカミングアウト??(爆)
そうそう、例の電話伝言の話、
あのコラムニストさんの態度は好感もてるんだけど、
彼女の自省の元になった発言主(友人じゃなく仕事仲間(笑))
どうも、センシティブというより自意識過剰系に私には見えるよ。
こーゆー人の意見は、いちいち気に病む必要無いと
私は思うんだけど、それを気にする人は嫌いじゃない。(笑)
ま「どう思う?」とか相談されたら、即
「ほっとけ」と答えるけど(爆)
自意識過剰と自省型センシティブは違うからね~
かぐやちゃんは、後者のように感じる。
しかし、この両者の立ち位置は似ているのかもしれないな。

おサチ~

おぉぉ(涙)
おサチ、やっぱり、覚えていてくれたんだね。
ありがとーーーーー。うれちぃよ(涙)
そうなんだよ。久しぶりに掲示板を覗いていて
あのカキコを思い出したんだ。
「大勢がボールを投げ込むイメージ」
うん。輪に座って投げちゃだめだけど(笑)
一列、あるいは列は同じじゃなくても
同方向に向かって、それぞれボールを投げる感じ。
時には、反対方向に投げてる人もいるが(爆)

いや、おサチは、もう、気にしないほうがいいんだよ。
おサチも、自省型センシティブだからさ。

ランキング..おサチ、いつもクリックありがとうねーーっ
がんばるねっ!!

N☆~

まさしく~!
「自分宛のメール読んでる気分になる」人っているんだろうねっ!
私が「自意識過剰」と考える人は、おそらく、それなんだろうな。
しかしさぁ、書籍読みながら、
「これは私向けに書いている」と思う人って少ないはずじゃない?
ネットの文章が、非常に個人的なものであったり
また、同じコンピューターやケータイの画面で
自分個人宛のメールも見るから「自分向け」の様に
錯覚しちゃうんだろうか??
ここらへんの感覚が私には、ある程度の想像しかできない。
全く、そう感じた事が無い。
ふと思ったけど、視覚型と聴覚型とも関係あるかな???
ちょっと書いてみるから、N☆の意見、聞かせて。
あ、でも、島国根性についても書きたかったんだ、今日は(笑)

ところで
「プロのモノカキは、ある意味読み手が
 自意識過剰になってくれるのを狙ってるところもある」
そうかーーー。
それで、私は、フィクション系を読むのが苦手なのかも。
どうも、その世界に入っていけない。

自意識過剰な人

コメント久しぶり~!
言語関係の話題はどうもついてけなくてさ・・・。(汗)

ホントに自意識過剰な人って、自分が自意識過剰だとは
これっぽっちも思ってないだろうね。
だから、かぐやさんなんかは、自意識過剰とは思えない。
マロの言う自省型センシティブなんだろうね。
自意識過剰だって事を自分で認識してる人はいいんだけど
そうじゃない人って、変なところに反応するし、揚げ足取ったりするしで
私には理解不能だし、自意識を持ちすぎるのは、罪だとも思う。

なんでかって、こういう人って、偏見も多かったりするから。
基本的に自分が中心で、他人の意見を聞き入れにくいし
自分が一番って思ってるから、人を見下すんだよね。
そういうところが始末に終えないと思う。(だから近寄らない。笑)

でも、N☆ちゃんが書いてるように、ネットの世界は独特だもんねぇ。
実社会ではそうでない人でも、ネットの世界では
自意識過剰になりがちだってのは、よく解るわ。
ネット世界の仕組みを理解してないんだろうと思うけどね。
でもだからこそ、ネット社会では、人の本性が出てくるとも思う。

ネットと書籍の違い

文体の差もあると思うな。
書籍ならこんな会話風の文章で自分の思っていることを書いたりしないでしょ?

で、質問なんだけど、マロが投げたボールは投げられた後どうなるんだろう?
ボールはその軌跡を見てもらえたらどうなるんだろう?

N☆さんの「書き手も多少自意識過剰でないとできない気がする」というのには、「私の投げたボールを見てほしい。」という意識があると思ったら間違ってるかな。

この記事を何度も読み返してみて、自分のブログでも書いてみたいと思った。
ブログ観とか、マロと私では随分違うと思ったしね。
(で、またインターネタは延期 笑)

エイガリアン~!

おかえり~

> 言語関係の話題はどうもついてけなくてさ・・・。(汗)
児童番組の動画,見た~?エイガリアンのリクエストに
応えて載せたんだよ(笑)

> ホントに自意識過剰な人って、自分が自意識過剰だとは
> これっぽっちも思ってないだろうね。
> だから、かぐやさんなんかは、自意識過剰とは思えない。
> マロの言う自省型センシティブなんだろうね。

そうそう全くそうっ!下も↓その通り
自意識過剰かどうかの見分け方は
このブログを読んで
「私も自意識過剰なのかもしれない」
と思う人は自意識過剰じゃない(笑)
自省型センシティブ。
このブログを読んで怒ったり
上から目線だと不快になる人は自意識過剰。
これといった感情はわかないが,本意はどこにあるんだろうと
深く考える人は(考え過ぎる人も含めて)
自意識過剰じゃない。

> 自意識過剰だって事を自分で認識してる人はいいんだけど
> そうじゃない人って、変なところに反応するし、揚げ足取ったりするしで
> 私には理解不能だし、自意識を持ちすぎるのは、罪だとも思う。

罪が出たか,罪がっ!(爆)

> なんでかって、こういう人って、偏見も多かったりするから。
> 基本的に自分が中心で、他人の意見を聞き入れにくいし
> 自分が一番って思ってるから、人を見下すんだよね。
> そういうところが始末に終えないと思う。>

ほんとだね~,まったく同感。

> ネット世界の仕組みを理解してないんだろうと思うけどね。

そうなんだよっ!まさしくっ!
非公開ブログ以外のブログは交換日記じゃないし
掲示板は学級会や保護者会じゃない(笑)

> でもだからこそ、ネット社会では、人の本性が出てくるとも思う。

そうなんだよね。文は人なり,と言うけど
本性出て来る。

CB~

> 書籍ならこんな会話風の文章で自分の思っていることを書いたりしないでしょ?>

CB,こんなって,このコメント欄を指してる?
ブログ自身とコメント欄は全く別物だよ。
ただ,書籍や雑誌でも会話風の文体は,
いくらでも見つかるけどね。
同じ文章を読んで,どう感じるか,それは読み手次第。
でも私は,人のブログを読んで自分に話し掛けていると
思った事は一度も無い。
話し掛けているのはコメントやコメレスだけ。

> ボールはその軌跡を見てもらえたらどうなるんだろう?>
> N☆さんの「書き手も多少自意識過剰でないとできない気がする」というのには、「私の投げたボールを見てほしい。」という意識があると思ったら間違ってるかな。>

間違ってるよ~っ!
私がボールを投げる時,見てほしいのは
ボールでも私でもなくて,
ボールが投げられた方向や
ボールの先にある世界なんだよ!
そして,その世界を見せるのは誰でもいいの。
私のブログや私のボールである必要は全く無い。
世界が,より多くの人に気付いてもらえればいいんだよ。
だから私は誰かが先に投げたボールの先の世界を
見ている人が少ない時にも気付いてもらいたくて投げる事もあるし
一緒に見ていた人が同じ方向にボールを投げてくれたら嬉しい。

> この記事を何度も読み返してみて、自分のブログでも書いてみたいと思った。
> ブログ観とか、マロと私では随分違うと思ったしね。

おぉ~,楽しみにしてるよ。
その時はリンクと
「クリック押してやってください」の一言も頼むよ~(爆)

???

>ブログ自身とコメント欄は全く別物だよ。
こういう認識って、マロだけじゃない?
おそらく大抵の人はコメント欄はブログの一部だと思ってるんじゃないかな。

>私がボールを投げる時,見てほしいのは
>ボールでも私でもなくて,
>ボールが投げられた方向や
>ボールの先にある世界なんだよ!
じゃあね、どうしてボールを投げるという比喩になるんだろう?
その世界に向かって懐中電灯を照らしたっていいわけだよね。
注意をそちらに向けるために投げたいんなら石でも槍でもいいんだし。
ボールが象徴するものがマロと私で全然違うんだ...。
じゃあコメント欄は何の役割を果たしてるんだろう???
その先の世界について自分がどう思ったかを書くところ?
マロが見せたい世界は、マロの主観から完全に自由なんだろうか。
この辺で、読んでいる方はどこまでがマロの主張でどこからがそうでないか、それについてどう考えればいいのか、どういう返し方がいいのか、混乱するんじゃないかな。

少なくとも私は、混乱してる。


>世界が,より多くの人に気付いてもらえればいいんだよ。
だったら、気付いて欲しいと思う気持ちは何なんだろう?

でも、このレスを読んでマロの持ってるイメージが少しわかった気がする。

>その時はリンクと
>「クリック押してやってください」の一言も頼むよ~(爆)
下書きの時点で既に書いてあるから大丈夫。(笑)

CB2~

> おそらく大抵の人はコメント欄はブログの一部だと思ってるんじゃないかな。>

「大抵の人」がどう思っているか知らないけど(笑)
ブログには二つの意味があると私は思っているんだよ。
まず「記事」や「日記」とも呼ばれる個々のエントリー
そして「サイト」「ホームページ」に相当する全体。
私にとっては後者は,あくまでも前者が主。
そしてブログ自体はブログを書いた時点で完結しているんだ。
そして個々のブログが指している方向や世界について
疑問や意見があったり語りたいという人がいたら
応えるという部分がコメント欄。
だからブログ自体はコメント欄の影響は受けないし
コメント欄はブログから派生した存在。

> じゃあね、どうしてボールを投げるという比喩になるんだろう>

ボールという比喩に拘り過ぎると主題を見失うよ。
ボールを使ったのは,何よりも,自意識過剰な人の受け取り方を
理解りやすく比喩するため。
懐中電灯を照らし合う遊び(笑)とキャッチボールと
どっちの方が日本語ブログを読む人にとって身近かだろう?

>石でも槍でもいいんだし。>

上の「まずキャッチボールありき」を理解してもらえれば
お互いに石や槍を投げ合う事とボールを投げ合う事の
大きな相違点はわかってもらえると思う。
ま,実際には石や槍を特定の人に投げようとしている人も
いる事はいるんだけど(笑)。

> マロが見せたい世界は、マロの主観から完全に自由なんだろうか。>

もちろん主観の産物だよ。
でも自意識過剰と主観とどう関係があるの??

>この辺で、読んでいる方はどこまでがマロの主張でどこからがそうでないか、それについてどう考えればいいのか、どういう返し方がいいのか、混乱するんじゃないかな。>

いや,そもそも何故
どう考えれば「いいのか」とか,どういう返し方が「いいのか」とか
考える必要があるの?
もしブログを読んで何か感じる事があったら
そのままを書けばいいし,そもそも書く義務は無いんだよ。
ただ,私にとってはコメントは私が書いた文章ではないし
個々のブログから派生してはいても個々のブログより独立した存在だから
私のコメレスは個々のブログ自身ではなくコメントに付属した存在なんだ。
でも,同じ世界を見ているコメントがついたら
個々のブログで語った内容を繰り返したり,さらに発展させる事もあるよ。

> 少なくとも私は、混乱してる。>

上の説明で理解してもらえたと思ってるよ。

> だったら、気付いて欲しいと思う気持ちは何なんだろう?>

映画や本やノキアE71について書くのと全く同じ気持ち。
自分が良いと思ったものを多くの人に知ってもらいたい。
同時に,自分が危険だと思った事について
一人でも多くの人が被害に遭わないように知ってもらいたい。

> でも、このレスを読んでマロの持ってるイメージが少しわかった気がする。

わかってくれると思ってたよ~。
CBは「話せばわかる(古過ぎるか?(爆))」人だからさ。
たとえ私とは全く異なる或は正反対の意見をもっていてもね。

> 下書きの時点で既に書いてあるから大丈夫。(笑)

早く更新してな~。そのために,こうして
イングランド対ウクライナ(W杯予選)見ながら
脳タイプテストのコメを後回しにして(すんません)コメレスしてんだから~

わかった

>ブログには二つの意味があると私は思っているんだよ。
これはね、マロが個々のエントリーと言う意味で「ブログ」という言葉を使うことがあるということには気がついていた。
...で、どうしてそう言うのかな、と内心不思議だった。
私にとってはブログはサイト全体、個々のエントリーはその構成要素であってそれをブログと呼ぶことがなかったからね。
私には「ブログを書く」と言っても、それは「ブログ(に記事)を書く」というニュアンスだから。
この辺から微妙にズレていった気もするけれど、どっちがいいかなんて私にはわからないから本題にいこう。

マロが書いた
>ブログ自身とコメント欄は全く別物だよ。
について、私はマロとは違う受け止め方をした。
それで「コメント欄はブログの一部」と書いたのだけれど、マロは「コメント欄はブログから派生した存在」と言う。
こういう言葉の受け止め方のズレが、全体のズレを構成してるんだと思った。
マロに取っては派生したものは既に別のものになるんだろうけれど、私には別のものというよりは一部なんだと思ったわけ。
繋がりがある以上はね。
でもマロにとってブログ(エントリー)はそこで完結したものなんだから、ということなんでしょう?
だから派生はしていても別物だ、と。
一部と言うとその中に取り込まれた存在のように映るから。

>懐中電灯を照らし合う遊び(笑)とキャッチボールと
>どっちの方が日本語ブログを読む人にとって身近かだろう?
マロの最近のこういう言い方に、正直棘を感じるよ。(笑)
懐中電灯を照らし合う遊びなんて私はしたことないし。

>でも自意識過剰と主観とどう関係があるの??
自意識を形成するものの一部が主観だから。

>いや,そもそも何故
>どう考えれば「いいのか」とか,どういう返し方が「いいのか」とか
>考える必要があるの?
それは書いた人の意図を正しく読み取りたいと思うから、どう考えればいいのか悩むんだし、
自分が感じたことを返したいと思ったら、どう書けば相手に伝わるか考えるからじゃないかな。
伝わらないでもいいや、と思ってたら、そんなこと考える必要はないからね。

でも、今回はマロの意図がわかった。

CB3~

おぉぉっ、ここにもコメってくれたんだ。
さっそくCBブログでコメって帰って来たとこだよっ。
そっちにも書いたけど、ここに、同じ事追加させてね。
(ほぼコピペ)

「自意識がある」のが「自意識過剰」って事じゃないからね。
問題は「自意識」じゃなくて「過剰」なんだよ。
外からの視点を意識しているのは単なる自意識で、
それが「過剰」になるというのは
むしろ、外からの視点が見えなくなってしまうという事。
だから、この文章を読んで怒る人は自意識過剰、
「これは私の事かもしれない」と自省する人は
「自省型センシティブ」で
立ち位置は同じかもしれないが全く違う。

ここでの「センシティブ」は「過敏」というよりも
「敏感」という意味で私は使っている。
「過剰」が、自己中心的であるのに対し
「敏感」は、外から自分を見る客観性を
もっているという点で正反対なんだよね。
位置は同じでも。
====
でもCBのブログ観がわかって感慨深いよ。
そして、様々な点で、CBと私とでは
それぞれの言葉の意味が違っていたという所も。
でも、「棘」って何よ、「棘」って?
ソースがあるなら出してよ(笑)
超合金マウスでもいいけどさ(爆)
懐中電灯照らし合い、肝試しとかでやるけど
二人でやりあったら、ちょっと変か??(笑)
これは単に「ボール」について聞かれたから
誠実に答えたまでなんだがっ?!!
文体に誠実さがかけてた??
超合金マウスのせいか???
あ、うちのマウスは純金でした(爆)

いちご100%

まるであにめの総合商社だなっ

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toloveる

卑猥な妄想を掻き立てられる超最新作

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