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生存本能と感受性

まわりっくどい言い方になってしまうが、
日本で、いわゆる「ハーフ」と呼ばれる
(日本比率が1/2であるか否かに関わらず)
片親か祖父母か先祖に「非【日本人】」がいて
かつ「非【東アジア人】」的外見をもつ人々への
差別と帰属意識に関する苦悩について
先日、友人達と語った時の話だ。
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日本の「ハーフ」の人達が
日本に帰属意識を持っても
多くの日本人から、その外見によって
「無邪気に(これが一番残酷だが)」
「帰属」を否定される苦悩は
「生存本能的危機感」だ、と、私は言った。

「生存本能的危機感」とは
私がボーっと考えながら作り出した造語で
当然、学問的裏付けなどは無い。(笑)

何故、帰属を否定されるのが
生存本能的危機感を生むかというと
人は、元来、集団に帰属しなければ
生きて行けなかったため、
帰属できる集団を求めるのは
生存本能の一部であるからだ。

そして、この生存本能には、強弱があり、
一人の人の生存本能の強弱は
年齢や環境、体験によって変動する。

赤ちゃん時代は、誰でも、生存本能が強い。
それが、成長とともに、
「智慧」がついてくると、相対的に
生存本能は弱まり、感受性が高まる。
感受性が強くなればなるほど
生存本能は弱まる。

生存本能は外に向かう力で
視線は、全体(大要)から細部へと動く。
感受性は内へ向かう力で
視線は、細部から全体へと動く。

生存本能が脅かされる時に生まれる苦悩が
生存本能的危機感で
感受性が脅かされる時に生まれる苦悩が
精神的危機感だが
生存本能的危機感が精神的危機感に、
また、その逆方向に変化する事もある。

子どもは、
生存本能と感受性が
バランスよく育って行くのが理想で
大人は
生存本能と感受性を
バランスをよく保つのが理想だ。
感受性と生存本能は
「陰」「陽」同様
バランスが良い事が最重要なのだ。

もちろん
性格的に
感受性が生存本能より遥かに強い人もいれば
生存本能が遥かに感受性を上回る人もいる。
遺伝も、あるかもしれない。

一般的に
「芸術家」として成功する人は
感受性の方が生存本能より遥かに強い。
真の芸術を生み出すためには
さらに感受性を強める必要があるため
生存本能は、どんどん弱まり
究極まで弱まると自殺へとつながる。

逆に、これも一般論だが
「政治家」には
生存本能が感受性を遥かに上回る人が多い。
当然、その「感受性」の乏しさを大公開する事は
一種の「人気商売」としてできないため
うまく隠そうとはするのだが、結局
その感受性の乏しさがにじみ出て来てしまい
「あつかましい」「ふてぶてしい」
という印象を与えてしまう。
不幸な事に、感受性の「強すぎる」政治家は
生存本能の「強すぎる」政治家には
「生存競争」で、太刀打ちできない。


同じ人でも、
どういう時に、感受性が強まったり
生存本能が強まるかというと...

「建設的な恋愛」をしている時は
生存本能が強まる。
ところが、この恋愛が
「不健康」「破壊的」になると
一挙に感受性が高まって生存本能は弱まる。

我が子の誕生で
生存本能が強まる人は多いが
正反対に感受性が強まってしまう人もいる。
もともとの性格と、環境、状況などによって
大きく対極に分かれるようだ。

子ども達と一緒にいると
その生存本能の強いエネルギーをあび(笑)
生存本能が強まる人もいれば
そのエネルギーに圧倒されてしまい
逆に生存本能を吸い取られてしまう人もいる。
自己の子ども時代がどうであったかも
大きく影響する。

仕事がうまく行っている時は
生存本能が高まり、力もみなぎってくるが
仕事が順調に行かなくなると
生存本能が高まり闘争的になる人もいるが
生存本能が弱まり感受性が高くなるあまり
精神状態に悪影響を及ぼす人の方が多いだろう。

生存本能が弱い人は、
仕事が客観的に順調に行っている時でも、
情緒的に不安になりがちだが
生存本能が抜群に強い人が、いわゆる
「仕事ができる人」かというと、そうではなく、
ある程度バランスがとれている事(少なくとも
生存本能が7感受性が3くらい)が
必要なのではないだろうか。

思春期の頃は
感受性が高まり生存本能が弱まりやすいが
年を重ね、気持ちがゆったりして来て
「ふっきれる」と、また
生存本能が適度に蘇って来て
バランスの取れた良い状態に近づく。
「四十不惑」というが、不惑とは
生存本能と感受性のバランスのとれた
状態ではないかと私は思う。

だが、この四十不惑の40歳というのは、
戦乱の世の中で生きた40年のことで
常に生存本能がおびやかされる状態で
その反動として生存本能が強くあり続けた人の
たどりつく境地なのではないだろうか。
生存本能を脅かされる事もなく
傍目には「恵まれた状態」で
感受性が強くあり続けた人が
40歳で「不惑」にたどりつくのは
かなり自覚して努力しないと難しいかもしれない。


......と
ここまで、あれこれ書いて来たが
こんな事を、つらつら考えている私も
かなりの暇人だ。(^^;)


友人達へ:とりあえず、ここまで載せます。
ご質問などありましたら
どうぞ、ご遠慮なく~~☆



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国際教育/結婚の大義名分

近年、日本で、子どもの教育に
英語系インターナショナルスクールや
アメリカ人学校や英国人学校等
「英語国際教育」を選ぶ日本人家庭が増えている。
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このうち特に目立つようになったのは
片親が非日本人という家庭や
「海外駐在が多いので教育を英語で」
と願う「海外駐在員系」家庭ではなく
どちらかと言えば
「外国とは縁もゆかりも無い家庭」系ながら
日本で英語による学校教育を受けさせたい家庭だ。

そして,
日本で生まれ育つ子どもに
「日本人向け」として作られた教育を
受けさせないという事に対する
「世間の風当たり」が、かなり大きいらしいのが
実際に国際教育を選択した親によるブログや
掲示板への書き込みから,うかがわれる。

この「世間の批判」の元にあるのは
実は「大義名分の有無」だと私は思っている。

「大義名分」に、こだわる人は多い。
赤の他人の行動に
「大義名分」を「求める」人も多ければ
世間に対して、自分自身の行動を
「大義名分」で釈明したいと思う人も多い。

日本人児童の国際教育について言えば、
まず「大義名分」の「王道」は
片親が非日本人である事だ。

その次に
「海外駐在員家庭」組が来るが
近年は、世界各地に「日本人学校」ができ,
これは無条件な大義名分とはならなくなった。
海外駐在を繰り返す家庭は、
「日本人学校の無い国や地域」に赴任する
可能性もあるので、それが、日本にいながら
「世界中で普遍的に教育を受けさせやすい英語」で
子どもの教育をなめらかに継続させるという
「大義名分」ともなるのだが,
海外駐在員数が爆発的に増えた今日では
海外駐在家庭が「日本人学校」を退け
「現地校」を選ぶ場合には、また
「日本人学校が遠い」等の
「大義名分」が「必要」となる様になった。

また、二年程度の駐在期間だと分かっていて
日本人学校の近くに住む事も可能でありながら
学童期の子どもに英語学校教育を受けさせ
帰国後も、英語で就学した為
日本語が不十分なのを「大義名分」として
英語学校教育を継続する家庭もあるだろう。

そして,「大義名分」の一種の「ヒエラルキー」の
最も下に来るのが
「海外とは縁もゆかりもない系」だ。

そもそも
子どもを日英バイリンガルにしたいから
英語国際教育を受けさせるというのは
世間的には「大義名分」として
容認されていないのではないだろうか。

英語系インターナショナル校にせよ
英国人学校にせよ米国人学校にせよ
「英語教育学校」は
学童
に英語を教える学校ではなく
学童が英語で学習をする学校なのは
海外の日本人学校が、
海外にある「日本の学校」であるのと同様であり、
例えば
「自分は英語ができなくて苦労したから
 子どもには【ラクに】英語を習得してほしい」
という一種の「親心」に応える為の学校ではないという
当然の認識が広まって来たのも
「親心」が「大義名分」とならない理由の一つだろう。

そのせいなのか,もともと存在したものの
近年特に増加した印象を与えるのが
同じく「親心」系であっても
英語学校教育を受ける理由を
【日本の学校には無い「世界的な視点による
 ユニークな教育」で「自由な発想」が
 可能な子どもを育てたい】などの「理念・思想」に
求める親である。

しかしながら
「理念・思想」という概念を「大義名分」とするのは
「十字軍」やら「ジハード」やら近年の「テロとの戦争」やら
否定的な連想する人も少なくない上,
理念・思想なのだから当然登場する反論に対して
理路整然とした回答を出す能力が無ければ
ますます「大義名分」とはなりにくい。
そのため
大義名分の王道「片親が非日本人」以外の
英語学校教育組への「世間の批判や疑問」は、続くのだ。

その批判と連動して
「国際教育」を選んだ「日本人家庭」組の中で
「理念」系と
「(子どもに英語で苦労させたくない)親心系」との間に
境界線と,それに伴う差別意識が生まれる。

実は,この状況は
「国際結婚をしている日本人」組への
「世間の風当たり」が生む「大義名分」への渇望と
非常に、よく似ている。

「国際結婚組」が「世間の疑問や批判」である
「なぜ外国人と結婚したの?」への
「釈明」として第一に掲げるのは
「恋愛」だ。
「好きになった人が【たまたま】外国人だった」
統計をとったら,この台詞は一位になるだろう。

実際には「大義名分」も、へったくれもなく
「【やっと】縁があった」のが外国人という人や
単に周囲に外国人が多く
「気付いたら外国人と付き合っていた」という人も
決して少なくないのは、
日本人どうしの結婚と大差ないのであるが
頻繁に「なぜ外国人と結婚?」と聞かれるうちに
めんどくさくなって、
こう答えるようになっていく傾向があると思う。

「日本人で結婚してくれる人がいなかった」
という,一見,大義名分っぽく聞こえ
批判や好奇心の矛先をかわす
「はずし系」の回答もあるのだが,
基本的に「日本人の相手が見つからないほど
魅力が無いのが明らかな人」には
「なぜ外国人と結婚?」等とは聞かないのが
「大人のやさしさ(笑)」というものであるから,
この回答は焼け石に水ほどの効果しか無い。
よって、結局、この
「恋愛結婚」という日本で受け入れられやすい
概念が持ち出されるのだ。


しかし,
巷には、当然、理念や思想や恋愛のような概念ではなく
「現実的な目的」をもって国際結婚や
国際教育を望む人もいる。

それは
「可愛いハーフ顔の子どもがほしいから」
と答える【「ハーフほしい系」国際結婚組】であり
「子どもにバイリンガルになってほしい」
と答える「バイリンガル渇望系」である。

この「現実的な幻想系」は、さらに
「自分は不細工でハーフ顔に憧れていたから」という
「自分は英語で苦労したから」
と全く等しい「劣等感付き親心系」と
単に
「ハーフかわいー☆子どもは断然ハーフ☆」
バイリンガルかっこいー☆子どもは断然バイリンガル☆」
と公言してしまえるような「脳天気系」に分化される。

そして
「恋愛系」は,同じ「国際結婚組」の
「ハーフほしい」系、特に「脳天気系」に憤慨し
「理念系」の親は,同じ「国際教育組」として
「親心系」「脳天気系」と同類として扱われる事に憤慨し
ますます「大義名分」に固執したり
「理論武装」やら「釈明」やら,
本来そんな釈明が必要な筋合いでも何でも無い事に
励んでしまったりしがちなのは,
好奇心や批判を続ける人に
「概念」を「建て前」と捉えて,真意を疑い
「理解りやすい理由」こそが「本音」だと
思いたがる傾向が強いからなと言えよう。

本音がゴシップ雑誌だとは限らない、
ゴシップ雑誌に本音が書いてある事は実は殆ど無い、
という事に気付かない人は多いのである。


だが,たとえ当事者の意識する「出発点」が
大きく異なったとしても,
「国際教育組」も
「国際結婚組」も
実は、ある共通点で,まとまるのだ。

それは,子どもである。
(子どものいない「国際結婚組」は,ここでは含めない)

バイリンガル教育にせよ
マルチリンガル教育にせよ
多言語国際教育には
「天:両親/先祖の文化的民族的背景(大義名分)
 地:住む土地/環境/学校
 人:子ども本人の適性」
が、噛み合っているか否かが
非常に重要な影響をもたらし,
この三要素が噛み合っていない場合
どの言語も中途半端
いわゆるセミリンガルとなる可能性もある。
(我が家も全く噛みあっていない(涙))

一方,国際結婚の結果生まれた子ども達は
ほぼ確実に【国ぎわ族】となり,
自己の帰属意識への「同胞」からの否定や
他人が自己に与える認識と自己の認識との葛藤に
苦悩する可能性が決して低くない。

どちらにせよ,最も苦労するのは子どもだ。
親が子の為に腐心する家庭であれ
脳天気な家庭であれ
家族の中で「苦労度」が最も高いのは
子どもなのである。

そして,子どもには
どんな大義名分も通用しないのだ。


===
ちなみに,私には,国際教育にせよ国際結婚にせよ
大義名分は一切ありません~。
どうかクリックお恵みください~っ!(涙)

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テーマ : 子供の教育
ジャンル : 学校・教育

訳つき英国お笑い児童番組動画

一部友人達から最近「国ぎわ多言語話題多すぎ/
漢字が多くて長いから読みにくい/短く頻繁に更新しろ」
という貴重な助言をいただいたので、本日は
久しぶりに英国面白動画をご紹介します。
だから、どうか、押していってくださいぃぃ~
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=====
次男小が欠かさず見る児童お笑い番組
BBCの「Sorry, I've Got No Head」
芸人魂炸裂で子ども向けと一切妥協せずに
作っていて爆発的に面白い。

30秒~2分程度のスケッチに登場するのは
☆「最近は何でも高いのよっゆるせないわ」と
勝手に決めつけ怒るお婆さん二人組(男が女役)
☆こわがりなバイキング達
☆現代に登場した「魔女狩り」
☆生徒が一人しかいない過疎地学校のドキュメンタリー
☆教育環境改善で海軍士官学校に転校した海賊の息子

等々...
この人物設定だけでも十分笑えるのだが
放課後4時すぎにCBBCという児童番組チャンネルで
放送されているのがもったいないくらい大人でも笑える。
上のBBCのリンク先やYouTubeにも数件動画が
出ていたものの私の大のお気に入りは
残念な事に見つからなかったが、とりあえず
十分面白い動画を二件、どうぞ~!!

「空港金属探知機」(大まかな拙訳つき)
Sorry I've Got No Head - Airport Security Sketch

【良識ある英国人】らしい表情と態度が余計に笑える。
空港..
騎士鎧姿の旅客が通ると当然金属探知機が鳴る。
空港「すみません。
   何か金属物を身につけてらっしゃいませんか?」
旅客「あ、家の鍵と時計がありました。」
空港「他には、ありませんか?」
旅客「いや、何も思い当たるものはありませんが..」
空港「それでは、戻って通り直してください。」
(探知機、鳴らない)
空港「問題無いようです。どうぞ楽しい空の旅を。」

家の鍵とか時計より全身メタルだろっ!!
セキュリティを通って行く物(笑)にもご注目。

次は、私のお気に入り
「買い物中の魔女狩り」(大まかな拙訳つき)
客が出て来た所から、もう笑える。
Sorry I've Got No Head - Witchfinder Shop Sketch


店員(以下、店)「おつりと領収書です。」
店「いらっしゃいませ」
客「こんにちは。(インスタント食品を前にして愛想よく)
  自炊する時間ないんですよ。すごく忙しいもんで」
客「あ、それ、50p安くなる割引券もってるんです。
  はい、どうぞ。」
店「この券うちの店で使えません。」
客「え?使えないなんて券に書いてないでしょ?!」
店「使えません。」
客「割引券を使えないんだったら
  大瓶、買ってなかったんですけどっ?」
店「すみませんが、どうしようもないですね。
  正規金額を払っていただきます。」
客「はぁ、そう、そうですか。」
(突如ドラムが鳴り店員を指差し叫ぶ客)
客「魔女、魔女だぁぁぁ~っ!!!」
(魔女狩り一団が魔女魔女と叫び乍ら登場)
(レジ店員、かつぎ去られる)
客「(呆然とする後ろの客に)何だよ?
  券にそんなこと書いてなかったんだよっ!」


日本の児童番組も、どんどんナンセンスに
面白くなっているようですが
子ども時代から、児童向けと妥協しない
マジメな(笑)おバカ笑いに、どっぷり浸かれる
モンティパイソン英国の子ども達、幸せっ!


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現在、40位代につけています。下がりたくないぃぃ
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テーマ : youtubeおもしろ動画
ジャンル : テレビ・ラジオ

国ぎわ族/手結川とは

(過去ログですが、期間限定で冒頭に載せます)
====
手結川..「てケツかわ」と入力してますが
「てぇむずがわ」と読みますっ!!
実は、私、有栖川宮詐欺事件の際
「手結川 中マロ」と改HNした
微妙な過去を持っております。
【国ぎわ族】は、そう、親父ギャグ的に
「窓際族」と「国際人」をかけて作ったマロ語ですが
「国際(こくさい)人」と「国際(くにぎわ)族」
の違いについては、2年前別ブログで書いた拙文2件で
改めてご説明させてください~
(【国ぎわ族】とつけた旧拙ブログ2個は
 徐々に、こちらに引っ越しする予定です)
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「国際(コクサイ)人」と
【国際(くにぎわ)族】
両者の最大の違いは
「国際(こくさい)人」が、自分の意志で「なる」のに対し
【国際(くにぎわ)族】は、自分の意志ではなく
生まれつき、或いは、自然に、いつの間にか、徐々に
「そうなっていた」というところにある。

そして
【国際人】は、100%帰属できる「国」を
当然のごとく無意識に持っているが
【国際(くにぎわ)族】は帰属できる「国」を持つためには
自らの意志で選択するなり努力するなり闘うなりの
行動が必要だ。それでも持てない事もある。

【国際人】は、
「自分が何人であるか」は
「自身が決める」ものであると信じていることが多い。

【国際(くにぎわ)族】は、
「自分が何人であるか」を決めるのは
結局のところ、他人なんだな....と
他者から気づかされる事が多い。
そして、それを自覚した時
自分が【国際(くにぎわ)族】であることに気づく。

【国際】と名のつくところには
実は、【国際人】の方が多く出現する。

公の場だけではなく、例えば、いわゆる
「国際結婚家庭」のような私的な場にも
むしろ【国際人】の方が多かったりする。

【国際人】は、
特に、自身の帰属する国に居住していない場合
自国(&自国文化・母語)への誇り・○○人であるという意識を
高める傾向がある。

その誇りは、輝かしい。
だが、【国際人】自身は、自身が持つ
まばゆい「銀の匙」に気づいていない事が少なくない。

誰もが「銀の匙」を持っているわけではない。
「銀の匙」は、あくまでも与えられるものだ。

もちろん、この「銀の匙」が
「義務」となり、時には「重圧」となることもあるが
この銀の匙の特権(というより包み・覆い・保護か...)に
本人が全く気づいていないことが多い。
そして、それに気づいていない【国際人】は
【国際(くにぎわ)族】という存在に戸惑うのではないだろうか?

国際結婚家庭や、移民家庭でも
【国際人】である親は、【国際(くにぎわ)族】の子供に戸惑うだろう。
家族という別の「包み」が、その戸惑いを優しく覆うことも
覆いきれないこともある。

国際人である親が【国際(くにぎわ)族】である子を
理解できなかったり
理解しようとしなかったり
国際人にさせようと努力したりすると
【国際(くにぎわ)族】である子供にとっては
なかなか辛い状況になるだろう。

それでも、オスカー・ワイルドの言葉
「子供は、親を愛することからはじめ
のち、親を批判するようになり
最終的には親をゆるす」ように
【国際(くにぎわ)族】の子供は
【国際人】の親に対しても寛容になるだろう。
「まぁ、こんなもんだろ」と....

周囲の国際人、そして
国際とは無縁の人々に寛容であるように....

親も【国際(くにぎわ)族】であったら
子供が自身も【国際(くにぎわ)族】であることに
気づく頃には、それが「当たり前の状況」に
なっており、「銀の匙」への憧れなど
感じもしないかもしれない。

【国際(くにぎわ)族】は、私が
いつもの如く安易に「窓際(まどぎわ)族」にかけて
造った言葉なので
特に深く考えず「族」という字を使っただけで
「族」で、あえて、団結を促しているわけでも
共感を促しているわけでもない(^^;)。

ただ、ひょっとしたら、無意識のうちに
「【○○人】になれないから【○○族】」と
「族」を付けたのかもしれない、と、後にして思った。

==

以前「人種偏見」について書いた時
何故、「人種差別」という言葉を使わなかったかというと
「racism」には、人種偏見も含まれているからだ。

「差別」は漢字熟語では、中国語で
【差別chabie】、これは、単に「違い」という意味だ。
日本語の「差別」は、中国語では【岐視Qishi】という。
分け隔てて排除するという意味がある。

偏見は、観念で
差別は、行動だとする。
行動をしなければいいのでは無い。
観念から行動が起きる。

だから、偏見それ自体が、既に差別なのだ。

【国際(くにぎわ)族】は偏見に出遭いやすい。
それも、まだ
偏見に対する免疫の出来ていない幼少時に
思いっきり体ごと遭遇しがちだ。

「国際(コクサイ)人」が偏見に出会うのは
既に免疫を擁した年齢であることが多い。

こうやって
「国際(コクサイ)人」と【国際(くにぎわ)族】の
違いを並べてはいるが
ことさら両者を分けて「差別化」するつもりではない。

言いたい事は
「国際」という熟語には、気をつけた方が良いという事だ。

誰でも国を持っているわけでは無いのだ。

「平和」は、「国際的均衡」が保たれなければ実現できないが
その均衡を保つべき「国」自体が
当然の土台では、無い。
民族=国でも無いし、その民族の定義ですら難しい。

ごくごく単純に言ってしまえば
固まって生きる運命共同体の一族どうしが
生存のために、限られた土地を争うのが戦争だ。
その族たちが、
戦争の繰り返しによる消耗と無意味さに気づき
共存しようとするのが、国際外交だ。

けれども
この外交の単位は、あくまでも「国」「準国家」なのだ。

「国際人」は、外交の場に、そのまま出て行ける。

【国際(くにぎわ)族】は
まず、どの立場で、外交の場に出るか、
見極めなくてはいけなくなる。

時として、全てを「白と黒」で分ける必要が出てくる世界では
「灰色」を知り尽くしている【国際(くにぎわ)族】は
知りすぎているが故に弱い立場にも成り得る。

しかし、実は、灰色の世界を知っているのは
【国際(くにぎわ)族】だけではない。
【際(きわ)族】を生むのは国だけではないのだ。
性別も、年齢も、財力も、職業も、学力(いや学歴か?)も.....
要するに
いわゆる「差別」が生まれるところには
【際(きわ)】が、生まれるのだ。

【際(きわ)族】が、自分の知っている【際(きわ)】以外にも
共感範囲を広げる....それが、力になる。

自分の属する【際(きわ)】によせられた偏見から
他者の属する【際(きわ)】によせられた偏見を
連想し、共感する.....それが、大きな力になると信じている。

(以上、2年前の某拙ブログより)



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担任を流産させる会

愛知県半田市で中学1年生が担任を「流産させる会」を作り
食べ物にミョウバンを混ぜたり、イスのネジを緩めて
転倒させようとする危害を与えていた事が判明した。
読売新聞のニュース
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愛知県半田市立中学..
一体、どんな環境なのか?
意外に「普通」の学校や地域なのか?
この子達が、子どもだった時、
赤ちゃんを可愛いと思う心の余裕は無かったのか?
13歳にして、この幼稚さと残酷さ
「想像力」「道徳力」「人類愛力」の欠如。
11人のうちには、力のある同級生にいじめられないよう
同調した子達も、いるとは思うが
その意志の弱さは否定できない。

英国に住む我が家、
14歳の長男は「女にはダークサイドがある」と
9歳頃には、先生に可愛がってもらっているのに
先生を好きかとたずねると
「先生だよ?先生ってのは良くても、まぁまぁ程度なものなんだよ」
などと言っていたのだが
10歳の次男は先生が好きか聞かれると「好き」と即答する。

しかし二人とも赤ちゃんや幼児が好きだ。
赤ちゃんを可愛いと思う心を持っている。
同級生達も同様なのが話のふしぶしにうかがえる。
この子達は「流産させる会」など思いつきもしないだろう。

英国と日本の宗教観や「人工中絶」への温度差の違い
そして少年法の違いを考えると
この事件が、英国で発生したら
この中学生達は、確実に、罪を問われ、裁かれる。
学校での「注意」やら「訓示」では決して終わらない。
学校の範囲を超えてしまっているからだ。
この事件が起きた時点で、学校には警察に連絡する義務が発生する。
それもあって、子ども達も、こんな事件は起こさないだろう。

ただ、だからといって、この子達に厳罰を、
この子達を裁け、名前を公表しろ、と私は思わない。

むしろ
この子達が、どうして、この様に育ったのか
それを解明してほしい。
「異常な一人」と追従した同級生なのか或は数人なのか?

この事件が大きく報道された所や、驚く人の数の多さを見るに日本の中でも、この学校は、特殊なのかもしれない。
この事件で日本の教育を語る事はできない。
しかし、どこか、崩れて来ているのか??という危機感を
ぬぐいさる事はできないし
こんな事件が日本で起きた事が悲しく、何よりも気味が悪い...。
気味が悪い。

そして、この担任の先生の心情を想像すると
(想像もできないが)非常に辛い。
自分自信が子ども達をそう追いやった、と
自責しているかもしれない。
妊娠中に、そんな余計な精神的圧力を
加えさせられてしまった事が、非常に残念だ。

この少年達が、いつか大人になって、夫になって
妻が妊娠したら、理解できるのだろうか。
理解できるように、これから成長する事、
そう教育し直す事を、願うばかりだ。





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テーマ : 中高生の親
ジャンル : 学校・教育

言語習得は子の選択

英国,今日から夏時間,日本との時差は8時間になりました。
本日も一部で不評な(笑)多言語ネタですが
なるべく短く止めます。だから,どうか
押してくださ~~いっ!(涙)
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非日本人と結婚し海外に住む日本人で
子どもの日本語習得に試行錯誤する人は多い。
しかし「うちの子はバイリンガルです」と
「誇らしげ」に言う親の話を聞くと
大抵,子どもは5~6歳,大きくて小学校低学年程度だ。
それだけ海外で日本語を習得させるのは大変なのだ。
両親とも日本人の家庭でさえ,子どもの
日本語維持には苦労するのである。

当然だ。
言語の習得には,本人の適性と環境が
何よりも深く影響し
どちらが欠けていてもうまく行かないからだ。
しかし,その環境を整えたり
本人の「適性」に関わらず努力をさせて
力を引っ張り出すのは「親次第」だ,と
考えている人も少なくない。

つまり,子どもの言語習得がうまく行けば
それは「親の努力の成果」という考えだ。

そのせいか,時々,幼児の,特に,母親で
子どもの日本語は自分の責任だ,と
思い詰めている様な方を見かける。
例えば「一親一言語」
(父は父の言語,母は母の言語だけを子に対し使用する方法)
の徹底に躍起となり,それを阻む配偶者や義理家族等に
不満を抱く親もいれば
「日本語環境」を作るために,特に仲良くない日本人と会って
子ども達を遊ばせ,子ども達が日本語を使わないと
怒る親も,いる。

子どもに自分の母語を伝授したいという感情は
住む場所が自分の国であろうとなかろうと
自然に生まれるものだろう。
むしろ,その感情が生まれない人は,
母国や母語に対して何らかのわだかまりを
持っているのではないだろうか。

しかし,我が子の日本語習得の為に,
日本語を解さない配偶者や義理家族との関係に
亀裂が生じたり,子供の日本語のために誰かと会ったり
子供たちが楽しく遊んでいる時に
使用言語を強制するのは本末転倒だと私は思う。

子供にとっては,成長するだけでも大仕事なのだ。
親が自ら母語の異なる配偶者を選び
(片親の)母語が使われない環境に住む,
その「選択」の「落とし前」を
何故,子供がつけなければいけないのだ?

だからといって,日本語を教えるな,と
言っているのでは無い。
14歳と10歳の息子の母として、幼児の親御さんに
そんなに緊張しなくても大丈夫だと伝えたいのだ。
親が,子供に根気よく日本語を話し続けるかぎり,
その日本語への答えが外国語(子にとっては母語)であっても
日本語は残る。
泣きながら日本語学習をさせなくても
日本語の漫画やテレビやゲームや歌の面白さに
触れさせれば,日本語は,残る。

私自身も子ども時代に学習を強制ではないが渇望された
英語や中国語に,密かに興味を示しながらも
押し付けられるのが嫌で反抗したのだが
高校時代に母が亡くなり
一念発起して中国語学習を始め、さらに
英語も,大学時代に一念発起して始め
その結果,現在,中国語も英語も
日本語ほどの力は無いものの全く困らないし
言語が基盤となる文学もお笑いも楽しめる様になった。

語学は、本人の強い「渇望」がなければ上達しない。
そして、その「渇望」は、
本人の心からしか生まれないのだ。

基礎さえ作っておけば,後は子供次第、
もっと日本語を上達させたいと子供自身が思うか否か
子供の日本語能力を決定するのは
結局のところ,親ではなく
子ども自身の「選択」ではないだろうか。

また、子どもが、大人になって
親の母語を選択しなかったとしても
それは、親の「不甲斐なさ」でも責任でも何でも無い。
子の人生は、子が選択して、決めるものだ。




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あ...結局、長くなってる....
しゅみましぇぇぇん
これ以上短くまとめられませんでしたぁぁ~

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テーマ : 海外で育児
ジャンル : 育児

自意識過剰と位置

ネットを始めて8年あまりになるが、この間、
ずっと気になっていたのが
「自意識過剰な人」を結構よく見かけることである。
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何これ?とのお怒りは、どうかこちら
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「自意識過剰な人」とは
不特定多数に向けられたメッセージ
特に批判を読んで
それを自分への批判と受け止めてしまう人の事だ。

他人のブログや意見が
自分の意見や理念と異なる場合
反応が大まかに三つに分かれるのではないだろうか。
「ふーんこういう考えもあるのか」傍観系
「どうして、こう考えるんだろう?」好奇心系
そして
自意識過剰系だ。

この自意識過剰系は、
自分と反する或は理解できないブログや意見を読むと
あたかも自分が批判されている様に感じてしまうらしい。

ブログにしても、掲示板にしても
意見は、あくまでも、
キャッチボールの様に、
書き手と読み手の間で
ボールがやり取りされているのではない。

むしろ、書き手と読み手は
同じ線上に立ち、書き手が投げるボールの
行き先を読み手は眺める、という
位置関係にあるのだ。

だが、自意識過剰な人は
そのボールが、自分に向かって
投げられていると勘違いしてしまう。

この自意識過剰さと
感受性の強さとは関係が無い。

感受性豊かな人の中には、
芸術作品や文学作品に触れ
絵画や音楽や書籍から投げられたボールを
ずっしり受け止めて共感/感動する人もいれば、
投げられたボールの行き先に
画家や音楽家や作家の創作/意図した世界を見て
それに共感/感動する人もいるのだ。

前者と後者では立ち位置も視野も全く異なる。

前者は自分自身は意識していないかもしれないが
世界の中心は自分だと思っているに実は等しい。
外野からのボールが全て自分に向かって
投げられているようなものなのだ。
これでは、生きているだけで「しんどい」だろう。

後者は、傍観者としての態度を取れる分、前者より
遥かに気楽に生きて行けるのではないだろうか?
もっとも、事柄によっては、後者でも
傍観者としての立ち位置を失う事もあるだろう。

何だか生きづらいなぁ、と感じる時は
周囲の環境だけでなく
自分の立ち位置に改めて注目してみると
良いかもしれない。



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おぉっ、今日は短くまとまりましたっ
しかし、これだけ無理に短くすると
どうも概念的で見えにくくなってしまう様な...

単に理解りにくい文章なんだよ、とのお怒りは
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今、なんと30位代のしっぽに食いついてますっ!!
また、すぐ落ちちゃうかもぉぉ。
どうか、一押し、面倒くさがらずにお願いします。
きっと良い事、起きますよぉぉぉ☆

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